我が家の息子は、2009年12月ALDと診断されました。長男は採血をし、異常なしでした。12月2週目より、歩行障害(よく転倒する)が気になり、発達障害外来へ受診。その日のうちに大学病院へ紹介され、CT検査、骨髄液検査、MRI、脳波、採決とあわただしく検査をしました。病名を聞いてもどのような病気なのか、全然わからず、先生からの説明内容はほぼ放心状態、パニック、大泣きと未だに内容は覚えていません。
ただ覚えているのは「早く連れて、帰ってあげてください」でした。
息子には未来というより、来年のクリスマスも迎えられないのかと思いました。
死んでしまうのかと思いました。 新年を迎え、この病気が少しでもよくなる、進行がとまる方法が骨髄移植だと知り、間に合わないとはいわれていましたが、何もせずにはいられず岐阜大学、名古屋赤十字病院、京都大学と相談にいきましたが、いずれの病院でも同じ内容の説明を受け、骨髄移植をするにしてもすぐには予約ができませんでした。
家族もみな検査をしましたが、型があわず、これも運命だと思い、移植の選択はあきらめました。
今振り返ってみても、この選択は間違っていなかったと思います。
最終的に○大、S先生に出逢い、すごく心の支えとなり家族の気持ちや想いを理解してくださる本当に心強い先生と出逢うことができました。診断より、3カ月後くらいには、自立での歩行は出来なくなり、言葉は出ていましたが、少しずつゆっくりとした口調になっていきました。自分の身体の変化を感じすごく、変だなとわかっていて学校のみんなへ「自分の姿を見せたくない お家がいい」「抱っこ抱っこ」と言っていました。
学校でも、お手洗いをがまんしていた時もあったみたいです。
トイレも失敗するようになってきた時には、「赤ちゃんみたいになっちゃった」と言い、親としてどうしたらいいのか、本当にわからなく、申し訳ない気持ちばかりでいっぱいでした。不安ばかりの時に、かかりつけ医の看護師に「同じ病気の子が市内にいるから相談してみたら」と声をかけてくださり、すぐに連絡しました。
想いをすぐにわかってもらい、気持が落ち着き安心しました。
ALD親の会があることも教えてもらいました。 正直、最初は親の会なんて「何の意味があるの?」「なぐさめあっているだけじゃないの?」と、とても後ろ向きな気持ちでいました。
でも、今は本当に本当に申し訳ないけれど、先生よりも大きな大切な存在です。
親の会10周年の記念すべき勉強会に参加させていただき、代表の本間さんとも、直接話しをし、子どもの事はもちろんだけど、病気の事、介護の事、会の事私のような一番不安の大きい親にとても一生懸命な、とてもすごいパワーに「こんな事ではいけない」と、深く感じました。
もっともっと前向きに子どもと向き合って戦わなければと思うことができました。
半年ほどの間に大好きだったいちごも食べる事ができなくなり、夏にはけいれん重責発作で1カ月の入院となり、たくさんのお薬と点滴、酸素吸入、痰を自分で出すことができず、吸引と本当に辛い夏休みを過ごしました。
退院後は酸素吸入はいらない状態です。今、診断より3年目を迎え、こんなに落ち着いた日がくるんだとびっくりしています。パソコンでの情報は古いと思います。
2年目には植物状態と書かれていますが、自分でできることは少なくなったけど、しっかりと生きています。
笑うことは出来ないけれど、嫌な事はちゃんと顔で表現しています。
現在は週に1回の訪問看護、リハビリ、教育を受け、大好きな安心できる、お家で頑張っています2人の主治医の先生がいて、本当に心強く想っています。
これからも大切な子どものためにも頑張っていきます。
5年生になった息子、とっても可愛いです。
『※原文のまま記載しています』