今日、5月16日は長男の9歳の誕生日。
今までのこと少し、振り返ってみようと思います。生まれたときから病気といえば風邪ぐらいでした。幼稚園も、1日しか休んだことがなく、元気な頑張り屋さんでした。しかし、小学校進学して、7歳の誕生日を迎えて間もない頃、急に右目の斜視がでてきました。何軒もの眼科に連れていきましたが、どの病院も、手術がいります。と言われることは同じでした。
夫のすすめで少年野球をしていましたが、うまくボールが取れなかったり、字がなぞれなくなってきたり、連絡帳の字が歪んできたり。でも、視力には問題ないといわれるし・・・。素直な、優しかった性格が反抗的になったり、パニックを起こしたり。何でだろうと、色々考えたりしましたが、「よくある反抗期」と私は、自分を言い聞かせ、なんともいえない不安を打ち消すかのように、大丈夫。どんと構えていようと思っていました。
しかし秋の運動会の時も、どうしてかみんなから遅れていました。このような状況を、息子を小さいときから診てくれていた、近くの小児科の先生に、たまたま話したところ、MRIをとるようにといわれました。結果、大学病院を紹介され、診断・・・。聞いた事のない病名でした。夫と私と息子と3人で、病院を後にした帰りに、大好きなマクドナルドのハッピーセットを買い、いつものように、喜んでいる息子。私は、足が震えて、声も出ない・・・。夫は、なにかをこらえるように、ずっとうつむいたままでした・・・。
移植は、診断当時、走れたり、食べれたり、話したりできていたので、望みをかけて名古屋や東京にセカンドオピニオンを受けにいきました。二つの病院の答えが、二つにわかれたものだから、ますます私たちは悩みました。私たちは子供の命を左右する重大なことを、ここ何日かで決めなければなりませんでした。決して、後悔はできない決断でした。白質の状況や知的に症状が進んでいて、主治医がずっと移植をすすめなかったのもあるんですが、まだまだ元気でいる大切な時間はもちろん、たとえ病気が進んでも、そばでずっと一緒の時間を過ごしたい。だから、移植はしない。それが、しないと決めた、一番の理由だったように思います。
症状は、しばらく安定していて、冬だったが遊園地に行ったり、公園に行ったり、楽しく過ごしていました。しかし、養護学校に転校して2年生を迎えたころから、歩行や、嚥下に症状がでてきました。泣いたり、苦しがっているので、ずっと抱っこして背中をさすって。私は家事など全くできずに、2歳になる娘の世話も実家の母に助けてもらいながらでした。夏ぐらから、筋肉の緊張がでてきて、本人も家族も、眠れない日が続きました。でも、疲れたなんて言ってられない。同時に、医療器具の購入、福祉関係の手続きなど、しないといけないことは増える一方。こういう時にこそ、夫と協力しなければと思えば思うほど、うまくいかず、わかりあえず・・・。しばらく、実家で過ごしたこともありました。私は、1番苦しいのは本人なんだから、しんどいなんて言ってはいけないと、必死に頑張った。でも、必死になればなるほど、何もうまくいかず、心も、身体もボロボロになっていった。
ちょうどそのころ、8月に岐阜でALDの夏の勉強会があったので、初めて参加させてもらいました。本間さん、木村さんをはじめ、たくさんの方と知り合いになれました。家族の方と話をすると、少し気持ちが楽になりました。
その場で、息子の主治医の先生が紹介してくれた、阪大病院で開催される、クラッべ病患者とその家族の会・オープンセミナーに、興味があったので、友達になった関西のALD親の会のママと参加しました。そこで、ボトックス注射をふくめ、緊張を専門的に診てくれるドクターに出会いました。
緊張が強くて、悩んでいたときだったので、すごいチャンスのように思えました。息子と、症状の出方がすごくよく似ている、クラッべ病の子供と、その家族にも出会うことができました。「うちも緊張強かったんですよ。薬だと分泌物が増え、寝てしまうことが多くなって、それがいやでボットクス注射ためしてみたら、とてもいい感じで、昼間寝ることもなくなりました。胃ろうつくってはいるけれど食べれるようになっています。」と話してくれ、その子は明らかにはっきりした顔だちで、活気があったので、とても印象に残りました。現在、息子もこのセミナーで巡り会えた、ドクターにボトックスしてもらってます。注射は今のところ、下肢だけ。にもかかわらず内服はほとんど飲まなくても大丈夫になってきて、いいかんじで効いてくれています。
あれほど苦しがっていたのが嘘のように、泣いたりすることもなくなり、夜も寝てくれるようになりました。ゴロゴロの分泌物も今はほとんどなくなくなり、息子も、胃ろうはつくっているが、ペースト状のもの食べれるようになっています。?表情もでてきて笑ったり、嫌な顔をしたり?、びっくりしたり。 時には大きな声を出してアピールしてきます。学校では、まばたきなどの?コミュニケーションなどに、 取り組んでいます。家では、大好きな音楽を聴き、家族に囲まれ、嬉しそうそうな表情をして過ごしています。私たち家族も、落ち着いている息子をみているとほっとしますし、ぶつかり合うことも、少なくなくなりました。
息子の9歳になる誕生日の3日前に、本間さんから体験を載せてみないかと、電話がありました。私でいいのか迷いましたが、いろいろな事を振り返るいい機会を与えてもらったと思っています。
今回も、誕生日だからと特別なことはせず、いつも通り小さなケーキを囲みながら、元気な時と変わらない会話の中で、家族と誕生日を過ごしました。でも、それ自体が我が家の奇跡なのかもしれないなと思ったりしました。息子が私たち家族のもとに生まれてきた意味、病気を通して、私たちに伝えたかったこと。改めて、考えさせられました。今回、親の会からNPO法人にかわり、今まで絶え間ないみなさんの努力、戦いに心から感謝します。 私は、まだまだ初心者ですので、みなさんの背中を追っかけながらになりますが、頑張っていこうと思っています。
今後も、よろしくお願いします。
『※原文のまま記載しています』